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近世には盛岡藩から八戸藩が分立するが

近世には盛岡藩から八戸藩が分立するが、これは、盛岡南部氏の当主南部重直が、実子、養子の死後、将軍 徳川家綱に面会して後継者選定と家の存続を願い、それに基づき重直の死後に家綱が裁定して、寛文4年(1664年)12月に重直の異母弟の南部重信に2万石減封して盛岡8万石を与えて家を相続させ、同じく異母弟(重信とも異母兄弟)の南部直房に新知として八戸2万石を与え、事実上の分割相続を行った際に創立したものである。

直房の子の南部直政は、将軍 徳川綱吉の側衆を経て側用人となり、江戸時代において南部氏で唯一、幕政に参画した。重信は後に幕府に盛岡藩の高直しを願い出て、領地に変動なく、また八戸藩を含むものではなく、8万石から10万石となっている。

七戸藩(盛岡新田藩)は、重信以後の盛岡南部氏の分知旗本南部氏に、盛岡南部氏が更に分知を行い、幕府に願い出て分知大名としたものである。分知旗本家の創設の際、七戸藩の創設の際、いずれの分知も名目上は新田開発による打出高を当てたため(新田分知)、盛岡藩の石高に分知の前後で変動はない。
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分知旗本南部氏は二家あり、共に南部重信の子を初代とする。後に七戸藩にならないもう一家は当主の南部利正が盛岡藩主となったとき、幕府に願い出て盛岡藩に併合された。

そのほかにも、津軽や岩手にも南部氏の支族があったが岩手の南部氏は没落し、津軽の南部諸家も全て大浦氏に滅ぼされた。大浦氏も南部の支族だが、久慈家から養子に入った為信が近衛家の傍流を称して藤原氏に鞍替えした。

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2009年06月05日 10:41に投稿されたエントリーのページです。

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